ゆれる

オダギリジョーよりかっこいいと言われたことがあります、たくやんです、こんばんは。その人は猛烈なアンチオダギリで気持ち悪いを連発していましたが・・。ぼくはオダギリジョーの服装と雰囲気はかっこよすぎると思っています。

さて、そのオダギリジョー主演の映画、「ゆれる」を見ました。
【引用始まり】 — オダギリジョーが演じる弟の猛は、故郷を離れ、東京でカメラマンとして成功。一方、香川照之の兄・稔は実家のガソリンスタンドを継いでいる。母の一周忌に帰った猛だが、稔、幼なじみの智恵子と出かけた渓谷で、智恵子が吊り橋から転落死してしまう。殺人容疑をかけられた兄と、彼の無実を信じる弟の関係が、ときにスリリングに、ときに不可解に、さらに衝撃と感動を行き来し、タイトルが示すように“ゆれながら”展開する骨太なドラマだ。【引用終わり】 —

なんの事前情報もない状態で、あるブログで絶賛されていたので見たいと思っていたのです。この映画は、事件の発端でもある橋が揺れるというのもあるのですが、一番は兄弟という人間関係の心の揺れ、感情の揺れを中心に描かれています。この映画の兄弟は、兄は実家のガソリンスタンドで地味な生活、弟は東京で派手な生活という対照的な人生を歩んでおり、彼らの中に芽生えた妬みや嫉妬、劣等感、罪悪感といった複雑な感情が入り乱れている様子が随所に描かれています。

母の一周忌に遅刻した上に喪服も着ずに訪れ、父に嫌味を言われ口論する弟。激昂した父をなだめる兄の足に滴り落ちるお酒は兄のみじめさを物語っており、その様子をじっと見る弟は兄への優越感や嫌悪感を感じさせます。
兄は弟へ対して、「お前はいいよな、東京で自由にやって金も稼いで女にモテて。」と嫉妬や妬みの感情を匂わせながらも、弟は優しい兄に後ろめたさと罪悪感を抱いています。

兄弟のこういった感情というのは特別なものですが、ぼくにも弟がいるのでなんとなく分かる気がします。前に「兄ちゃんは自由でいいよな」と弟が言っていたというのを母親から聞いたことがあります。
ぼくは地元の進学校から理系を選択し国立の大学で生物を専攻し、弟も同じ進学校の理系から国立の大学で化学を専攻するという一見似たような人生を今のところ歩んでいるのですが、ぼくと弟のタイプは全く異なるものです。
ぼくは努力をしない(できない)人で、勉強なんてたいしてした記憶がないけれど中学では成績はだいたいトップで高校でも定期テストは校内で100番にも入れないくせに模試になると県内でも100番に入ってしまうような人でした。中学、高校と何人かの女の子とも付きあったし、第一志望の大学に落ちても平気で妥協し楽な道を選んでしまう、ちゃらんぽらんな兄貴です。
一方、弟は典型的な真面目タイプで努力に努力を重ねて勉強し、定期テストの成績はいいのに、模試の成績は悪く、第一志望の大学に入ったものの、彼女なんてもしかしたら今まで一人もいないのかもしれません。そんな弟がぼくの姿を見て、自由に要領よくやっていると思うのも不思議でないかもしれません。

挙句の果てには、今ぼくは自分の6年間の専攻を捨てて、東京に行きインターネット業界で自分の人生を賭けようとしています。弟には絶対に真似できない選択だし、もしそうなったら、より一層、弟はぼくのことを自由な人間だと思うことでしょう。この映画を見ていて、ぼくが東京、弟が地元に残れば、いろんな責任や家のことを弟に押し付けることになるのかなと、東京タワーを見た後であることもあって考えたりしました。
映画を見ただけで自分の人生の大事な選択を決めたりしませんけど、もし内定をもらったらぼくが大分に残って田舎で暮らすのも悪くないかなと思い始めてはいます。

ぼくは根は真面目だけど、ギャンブルの好きな博打打です。
どっちの道を選んでも楽しいだろうなと思います。
人生にはいろんな選択肢があり、人の幸、不幸はどんな基準で計るのだろう。
そんな自分の人生を投影させてくれるような映画でした。

たまに弟が夢に出てくることがあるのですが、なぜか無性に怒りを感じ怒鳴ってしまうようなシーンが多いです。弟以外でそんな夢はみたことがありません。ぼくが思うに兄弟というのは優越感と劣等感を併せ持った潜在的なライバルであり、それは誰よりも近く、誰よりも遠い存在なのかもしれません。

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