バイト辞めました。

香川県坂出市のパート従業員の祖母と孫姉妹が血痕を残して行方不明の事件で「こいつ絶対怪しいだろ・・」と思ったのは、きっとぼくだけじゃないことでしょう。人は見かけで判断しちゃいけないとは言うものの、ヤクザっぽい見た目ってのはやっぱ不利ですよね。それに普通、被害者の家族は積極的に顔を出してインタビューしないもんです。近年記憶に残っている被害者の身内が積極的にインタビューに応じていた例としては新潟児童殺人事件とか和歌山カレー事件とか後に容疑者として逮捕されたパターンが思い出されます。風呂場でルミノール反応が出ていることも怪しさ満点です。

さて、今日は一年二ヶ月ほど続けていたバイトの最後の出勤日でした。今思えば就職活動の本格化と同時に始めたバイトで正直スケジュール上辛い日々が前半は続きました。しかも仕事内容としては5時間半ずっと立ちっぱなしで特にすることのない時間が4時間ほどあるので非常に退屈で無駄ともいえるような時間を過ごしていました。時間の経過の遅いこと遅いこと、何度時計を見て10分しか経っていなくて絶望したか分かりません。

このバイトでいくつか学んだことを挙げるとすれば

・仕事が暇≠仕事が楽
・忍耐力
・プロ野球中継のおもしろさがちょびっとだけ分かった
・田舎に泊まろうはおもしろい
・世の中にはアーケードゲームが趣味で毎日何時間もゲーセンに通う人もいる
・元プロはストレート120Km程度では絶対空振りしない、ホームラン連発
・子供は生意気(人生で初めて「おじちゃん」と呼ばれた)
・奥さんは綺麗(な人もいる)
・ヤンキーはうんざり(ヤンキーの子供はヤンキー)
・おばちゃんのバイト歴は28年
・バイト5分前に家を出て一分たりとも残業しない時間調整技術

くらいです。
ま、それでもその仕事内容に対してここらにしては自給が高く(平日730円、日曜祝日920円)、毎月のお小遣いとしては有効なお仕事でした。それに家庭教師以外に、バイトとしてバッティングセンターの店員を経験できたのも学生時代の思い出として良かったかもしれません。

月4万の収入でも学生のぼくにとってはだいぶ違うので、本当は卒業ぎりぎりまでバイト続けても良かったんですけど、この時期になってお金より時間を惜しむようになったということです。週2回とは言え、月に40時間以上時間を売るわけだし、その時間をどうせなら研究と遊びに回したいという気持ちが強くなったのです。この一年間バイトのために日曜日はどこにもいけない日々が続いたし、月曜も学校休みがちになってしまっていました。収入がなくなるのは痛いけど、どうせ4月からはお金を稼ぐために人生のほとんどを仕事に費やすんだし、今はほかの事に専念しようと思ったのです。

そんなバイト最終日だったわけですが、今日は同じところでバイトしている研究室の後輩が遊びにきてしきりに「最後だからジュースおごりますよ!」と自販機の前でせかすのです、社長の目の前で。後輩は社長がすぐ後ろにいることに気がついたなかったようですが、勤務中だし割と厳しい社長の前でそれはちょっと気まずいので丁重にお断りしておきました。最後だから別にそんなの気にしなくてもいいんですけどね。後でバッティング教室のために社長は毎週月曜だけは来るのだと教えておきました。

そして最後は社長にも元プロ野球選手のバッティング教室の先生にも特別に声をかけられることもなく少しだけ寂しさを感じながら、バイトのおばちゃんと会長にはお世話になった挨拶をして帰りました。今月の給料は水曜に取りに来るように言われたのですが、制服であるホークスのユニホームを洗濯して返すように言われました。次の人に渡すからと言ってましたけど、それくらいそっちでクリーニングに出してくれよと思いつつも持って帰りました。明日の昼は雨らしいので、明日の夜にでも洗濯しようと思います。

これが(たぶん)、人生最後のアルバイトだったのだろうと思いますが、大学生活もっといろんな変わったバイトしとけばよかったのかなーとも思ったりします。例えば、なんだろう。道で歩いている人の数を数えるバイトとか治験のバイトとか。でもやっぱり家庭教師の楽さと楽しさと給料の良さは最強だったなと今でも思います。

2 件のコメント

  • [乙です。]
    おつかれさまです。
    ボクはあのおばちゃんに嫌われていたので
    正直1年以上続けたたくやんさんは尊敬に値します。

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    1983年大分県生まれ。東京在住のWeb系エンジニア。
    ポータルサイト、ファッションECサイト、コーディネートアプリ、食品ECサイトの開発運用などを経験。
    人に役立つことや面白い記事を書けたらなと思っています。