考える葦~死~

ぼくは文章を読むことが好きだし、書くことはもっと好きです。
書くことが好きな人は考えることが好きな人だといわれています。
ぼくも考えることが好きで一日に何時間も世の中のことや人のことや自分のことについて毎日考えています。
最近ちょっと考えすぎなんじゃないかと思うほどです。
ぼくが一番多く考えるテーマは「死」についてです。
別に死にたいわけじゃないけど、自分が死ぬことについていつも考えています。

考える葦(琥珀色の戯言)

パスカルの有名な言葉に「人間は考える葦である」というのがありますよね。国語の教科書なんかにも出てくるので、誰でも知っている有名な言葉だと思います。
でもぼくも
【引用始まり】 —
「人間は『考えることができる』ということができるという点が、唯一ほかの生物よりも優れているのだ」【引用終わり】 —
という意味だと勘違いしていました。
本当は「葦はいずれ枯れるのを知らないでいるが、人間はそれを知っていることがちがう」という意味なんですね。

てかちょうど最近、死について考えることが多いということを書こうと思っていたし、その時に「人間は考える葦である」という言葉を入れようと思っていたので、琥珀色の戯言さんの記事を見つけたときはハッとしました。

【引用始まり】 —
「考える」というのは、「死を意識する」というのと同義なのかもしれないが。【引用終わり】 —

いろんなことを考えていると、最終的にたどり着くテーマは「死」なのかもしれません。
それは同時に「生」について考えるということでもあるんですけど。

最近より「死」について考えたのは友人(真琴嬢、当方婦女子、22歳。(+α) )を読んだときです。
正直ぼくは自分が死ぬことについては何とも思わないんです。
そりゃ苦しい死に方は嫌だけど、死後の世界なんて信じないし死んだらそこで全ては終わりだと思っています。
自分がいなくなった世界には喜びや悲しみ、欲や思考などなにもありません。なにも考える必要がないし、考えることすらできないのです。
全てが無になるのだから、死んだあとのことなんて考える必要すらないと思います。
ここまではいつもぼくが考えていることなんですけど、それ以上の何かをそこから得ることができません。
ただ、自分の好きな人がいなくなることは悲しいなと思いました。
考えることができなくなるのも寂しいですけど、それは死んでしまえばどっちでもいいことで、自分の死よりも人の死のほうが受け入れがたいことかもと思いました。

ぼくはきっと死ぬまで「死」について考え続けるんだと思います。

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