IT革命


Click Here!IT革命ーネット社会のゆくえー

少し長いですけど、要約してみました。

【引用始まり】 —
「IT」(情報技術)という言葉が盛んに取り立てられるようになっているが、これはただの流行性に留まらず、ITのもつ意味や社会的作用は半永久的に続くものである。
一言で言えばIT革命とは文化的事件である。「単方向のマスメディアから、双方向のネットワーク・メディアへ」という、地球規模のメディア・ビッグバンに伴う生活革命である。人類の欲望・価値観・思考方法なども音をたてて変容していく産業革命に匹敵する「革命」なのである。
しかし、IT革命に対しては誤解されている部分がある。今世間で騒がれているIT革命とは、「ビジネスチャンスを物にする」だとか、大きくても「日本の経済復興の切り札」だという位置づけに過ぎず、3~5年くらいで終わるものだとされてしまっている。そこには21世紀に訪れる「ネット社会」についての長期的なビジョンがないのだ。IT革命は30年~50年に渡る地球規模の文明的事件なのである。
IT革命において大切なのは我々一般人の生活の質が根本的に変わることだ。つまり社会的に見れば量的変化ではなく、質的変化なのである。IT革命によって人間と人間のコミュニケーションの様式が変わっていく。これと共に従来我々の生きがいを支えてきた価値観も変わらざるを得ないのだ。
ではIT革命の正体とは何なのだろう。端的に言えばIT革命とは「我々皆が情報を持てるようになる」ということである。一般人が情報を蓄え、編集し、交信しあうことが可能になるのである。このようなIT革命を実現するためにはメディアが必要である。現代では政治だけなく、大衆的な消費がマスメディアに支えられている。このマスメディアの支配を根本的に変容させるのが「メディア・ビッグバン」と呼ばれるものである。一言で言うとこれは「放送と通信とが比較的短期間で融合する」ということを意味する。
メディアビッグバンによって放送と通信とが融合し、テレビの影響力が弱まっていくにしたがって、テレビなどのマスメディア広告を通じたいわゆるマス・マーケティングではもはや商品は売れなくなる。大量生産・大量消費ではなく個々の消費者の嗜好を的確に把握して個人的なニーズに応えることが生産者側にとっても不可欠となるのだ。
この消費者主体の経済に以降するために忘れてはならないのは、大多数の国民がインターネットに接続する端末を持つということである。この条件が満たされない限り、IT革命の社会的影響はそれほどでもなくなってしまう。インターネットに繋がる端末としてはまずPCが思いつくが、操作方法の点で問題がある。また携帯電話も代表的な端末ではあるが、範囲や情報量が限定的であるのとお年寄りに使いづらいという点で力不足である。
そこで現れるのが、「テレビがインターネット端末」になるという方法だ。一般人がITを使いこなすための王道はもっとも身近な大衆情報機器であるテレビのリモコンでインターネットのHPを眺めたり、メッセージを送ったりすることなのである。
テレビがインターネット端末になるということは、テレビの画面で放送番組を眺めるだけでなくホームページを検索したり、eショッピングを行ったり、電子メールを送受信できるということである。つまりテレビとパソコンが有機的に合体するということになる。視聴者がクイズ番組に参加することから始まり、スポーツ番組の最中に選手やチームの情報を検索したり、CMでも視聴者からアンケートを取ったり、資料を請求したりできるようにもなる。またドラマを見ていて俳優が着ている服をその場で購入するといったことも可能になるかもしれない。「見るテレビから使うテレビ」という謳い文句が唱えられるのである。メディア・ビッグバンはこのようにしてIT革命の中核になっていくものだと考えられる。
さらにインターネットに繋がる端末はテレビだけではない。一般にインターネットに繋がるパソコン以外の端末は「IA」と呼ばれることが多い。機能的にはマルチメディア端末なのだが、IAはインターネットに繋がるのが特徴である。IAとしてはテレビや携帯電話の他にゲーム機、冷蔵庫、自動販売機なども候補である。
このように約50年前に生まれたIT、そしてデジタル・メディアの驚異的な発達により工業社会を支える基本的な枠組みが変わり、ひとまず安定していた多層的な共同体は激しく揺らいでいる。多発するネット犯罪やサイバーテロも、そういう社会的緊張感と無関係ではない。共同体からはじき出された人々はサイバースペースで自由力を得る代わりに個に分断されてしまうのである。
そもそも人類というのは群れをなす生き物である。人類にとって共同体とは本質的なものであり、それなしには生きがいを得ることはできない。本来人間の共同体の範囲は150人を上限とする心情的な交流の上にあるものだが、メディアの発達により共同体は広がり、「擬似的な共同体」が出現してくる。これまではテレビにより擬似的な共同体ができていたが、今後メディア・ビッグバンの後いかなる擬似的共同体ができるのかということが問題になってくる。過去の共同体・擬似的共同体は崩れさり、新しい擬似的共同体が生まれてきているのである。
そのような擬似的共同体の中で消費だけでなく、起業、ボランティア、などの生産活動、組織活動を始めるとすればそこには「信頼関係」「協力関係」などの共同体的な性格が現れてくる。そしてそれは、オンライン・サークルなどの擬似的共同体には存在しないはずの「生きがい」を約束する擬似的共同体となる可能性があるのである。
そしてそこには、生産者と消費者の境界線上に「消費的生産者」が現れその結果、市場経済というよりはむしろ贈与・互酬的な場となる可能性がある。ITの中には贈与・互酬経済の復活を促す要素があり、ネット社会の重要な特徴として「サービス中心」という言葉でまとめることができるのである。それはP2Pやオープンソースの発達にも現れていると言える。
このような様々な可能性を持つIT革命であるがそのためには工業社会的な居住空間を改革する努力が必要である。近代的な工業社会とはマスメディアをベースにした社会であり、放射線状の社会である。メディア・ビッグバンでは放送と通信が融合するので情報はもはや中央から周辺に向けて放射線状に流れることはなくなる。地域とは直接関係なく形成されるインターネットのローカル・ウェブの中で生産者から消費者へ、あるいは消費者同士で、一過性の高速な情報流が泡のようにたえず生まれては消えていくのである。しかし、人間の移動を含め物流はほぼ居住空間から決定されてしまう。したがって居住空間が工業社会のままにとどまるのなら、物流と情報流とのあいだに巨大な空隙ができ、これがオンライン共同体の形成を阻害する恐れがあるのである。よって今後はリアルスペースとサイバースペースとをしっかりと接続・混交するための条件を整えていくことが必要である。
【引用終わり】 —

ぼくがこの本を読んで一番おもしろいと感じたのは第2章を中心に書かれている「メディア・ビッグバン」についてです。メディア・ビッグバンとは放送と通信との融合だとされています。これは今世間で注目されている堀江社長が言いたいであろうことと、全く同じではないかと思い興味深かったです。
堀江社長は日本放送に手を出しましたけど、やはり最終的にはフジテレビを支配してテレビを使ったメディア・ビッグバンを起こしたいのだと思います。今のテレビ業界は数少ない民法で支配されており、それでも潤っており閉鎖的でもあります。本の中で書かれているようなことが現実になるためにはどこかで外部から新しい風を吹き込む必要があるのだと思います。
そういう意味では堀江社長率いるライブドアは今後のネット社会、日本社会を見据えて、一石を投じようとしているのだと思います。しかし、日本の社会は旧体制的考えが根強く、特にメディアにより反発され排除されようとしています。メディアから革命を起こそうとしているのに、それをメディアから叩かれ排除されようとていることが非常に皮肉なことであり、議論の中心が株式の運用問題やルール、会社のあり方、短期的な経済論に収まってしまっていることに根本的な視野の狭さを感じてしまいます。もっと長期的な視点でメディアというものをもう一度考え直す時期なのではないでしょうか。
もっとも、それは堀江社長のやり方がヘタだっただけで、球界再編問題の時のようにメディアに関心を持つ(ソフトバンクのような)会社がもっとうまいやり方でメディアと通信との融合を果たすことになるのかもしれません。
P86に書かれている「テレビ放送はインターネットと融合して行かざるを得ないのである。」という一文が印象に残っています。どのような形で今後テレビ放送とインターネットが融合していくことになるのか興味を持って注目していきたいと思います。

補足:堀江社長がまずいのは、将来的なビジョンをうまく明示できていないことだと思います。やろうとしていることは大きいはずなのに、それをうまく伝えることができていません。これでは大衆に受け入れられません。やはり反感を買わずにうまくやりすごす能力が彼には不足しているのではないでしょうか。

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