人類としての発展と人生の幸福について

本を読みました。 きっかけはWantedly代表の仲暁子さんがこの記事で絶賛していたことからです。

Golden Weekに読むべき本3冊

フランス人の知り合いが面白いよと言っていたので去年の後半に読み始めたこちら。圧倒的に面白い。歴史学から生物学、経済学など学際的に、ステレオタイプにとらわれることなく著者が自分の理論を展開していてまさに目から鱗の連続。ここ1,2年で読んだ本の中で一番おもしろかったし、私と会った人は皆この本について熱く語られたのを覚えていると思う笑。是非読んで、人間が進化論を超えていけるのかどうか、思考実験してみて貰いたい。「ゴールデンウィークに読むべき1冊」でもいいと思ったぐらい。

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実際、読んでみて本当に目からウロコの連続でした。 数ページに一度は「そうだったのか!」という知らなかったことや、新しい考え方が出てきてハッとさせられます。人類史の話ではありますが、生物学的、経済学的、社会学的、心理学的に多くの知と気付きを与えてくれる良本でした。現在、ベストセラーで本屋にいくと目立つ場所にあると思いますが、まだ読んでいない人には本当にオススメの本です。

この本の話をすると貸して欲しいってよく言われますが、購入して本棚に並べておき、いつか読み返したり将来子供に読ませたりする価値のある本だと思います。それくらい面白かった。

なぜ人類の赤ん坊は未熟なまま生まれるのか

生物学的に考えて人類の特徴として挙げられるのが

  • 体重に対して大きな脳を持つ
  • 直立二足歩行を可能とする

という2つで、巨大な脳が様々な発明や思考力を支えてきたし、直立二足歩行により自由になった手を使って複雑な道具を作ってきた、この2つが人類の繁栄に貢献してきたことは明らかです。しかし、この2つを得るために人類が払った代償は大きく、直立歩行するためには腰回りをそれまでより細める必要があったので女性の産道は狭まった、にも関わらず赤ん坊の頭がしだいに大きくなったため出産において女性は命の危険にさらされるようになりました。

その結果、赤ん坊の脳と頭がまだ比較的小さいうちに出産した女性の方が無事に生きながらえる可能性が高くなり、自然選択として人類は他の動物に比べて圧倒的に生命維持に必要なシステムの多くが未熟なまま生まれるようになったそうです。

考えてみればそうです、馬は生まれて間もなく走り回り、猫は数週間で自分で食べ物を探し始めますが、人間は生まれてから1年は自分で歩くことすらできません。人類の母親は子供と自分を養う食べ物を一人で採集することがほぼ不可能だったので、人間が子供を育てるために仲間が力をあわせる必要があり、それが強い社会性を育てたという話でした。

このエピソードだけでも進化によって得たもの、失ったものがあり、それが人類全体の特性に影響を与えているのだということがよく分かり面白かったです。

農業革命は本当に人類を幸せにしたのだろうか

ぼくが小中学生の頃に習った農業革命の常識としては、長らく続いた狩猟時代では食料となる獲物が必ず捕まえられるか分かないその日暮らしで安定しなかったが、食物を育てるという革命の結果、安定した食料を得ることができるようになったので人類は一気に人口を増やすことができ発展してきた、という話です。

しかし本書で述べられている、人類は農業革命によって手に入る食料の総量は確かに増えたが、狩猟時代とは違い、食物を育てるためには朝から晩まで働かなくてはいけなくなり、人口爆発により一人あたりの得られる食べ物の量も質も実は下がり、定住が必要になったことが疫病や土地を争う戦争を招いた、それが本当に満ち足りた暮らしだったのだろうか、という仮説は説得力があります。

生物としての成功はDNAの複製、つまり種の存続と増殖です。そう考えたときに、農業革命では人類は生物として成功したわけですが、その成功に貢献したのが小麦の存在です。小麦を獲得することにより人類は繁栄することができました。一方、視点を変えて小麦側から考えてみると、それまで野生の草に過ぎなかった小麦が、わずか現在までの1万年の間にいたるところに存在するようになり、生物学的には小麦は最も大成功している植物です。

それは狩猟採集により快適な暮らしをしていた人類を操ることに成功し、人類は朝から晩まで小麦の世話をやき、岩や小石を丁寧に取り除き、来る日も来る日も延々と草取りに勤しみ、ウサギやイナゴなど外敵から絶えず目を光らせ守ってやり、苦労して泉や小川から水を運び与えて、動物の糞尿まで集めて小麦の育つ地面を肥やしてやることを強いられてきました。

つまり人類が小麦を増やしてきたことは、視点を変えれば小麦が人類を家畜化してきたとも言えます。その結果、人類はカロリーベースで考えると、乏しい食生活に陥り、不作の年には何千何百万という単位で多くの命を落とすようになり、所有物が増えたことにより他所に移動することが難しくなり、戦争が増えて戦死で死ぬことも極端に増えました。

人類は種として一見繁栄したように見えますが、幸せになったのだろうか、そんなことを考えさせられます。

種としての繁栄と個々の幸せ

今日の大型哺乳類動物の繁栄を順位付けすると1位が人類、2位が牛、3位が豚、4位が鶏、だそうです。種の成功はDNAの複製という視点で考えると、農業革命は牛や豚、鶏を大成功に導きました。

しかし、当然ながら種としての成功は、個別の幸福とは何の関係もありません。彼らはこれまで生を受けた生き物のうちでも、極端なまでに惨めな存在だとも言えます。

一方、現在社会で人類は神話を糧に発展を遂げてきました。神話とは存在しないが皆がそれを信じており、そのことによって協力しあうことができた人類にとって非常に重要な発明です。それは例えば、宗教や国家、法律や貨幣、経済などで、企業もその一つだと言えます。

企業の経済的成功は銀行預金額によってのみ測られるのであり、従業員の幸福度などではありません。種としての成功と企業の成功が、共に個々の幸せとは無関係であるということは、なにかとても示唆的です。

人類の歴史からみた個人の人生

ぼくがこの本を読んで思ったことは、人類の長い数千万年の歴史から見ると今はほんの一瞬で儚いということです。本書では人類が長い年月をかけて海を超え広がっていき、オーストラリア大陸に移り住んだと書かれていますが、単純に海を超えるというのも何世代にも渡っての偉業であり、相当数のサピエンスが犠牲になってきたはずです。

つまり長い年月で俯瞰してみたときに、すべては種としての行動であり、たくさんの個が挑戦してきて、その中で当然失敗は数知れないし、次々と死んでいくわけなんですが、種全体としては取るに足りないことなんですよね。種全体の視点で考えると、ひとりひとりの悩みや恐怖なんてちっぽけなことだし、小さなことをで悩む必要はないなという大局観を再認識しました。

一方で、種としての繁栄や企業としての繁栄に貢献したいものの、個としての幸せは追求していきたいし、幸せにならなければ全ては意味がないとも思います。そういう種としての成功、個としての幸せ、相矛盾する2つの価値観を考えることができた本です。

この話を昨日、ある人にしたらこの本を進められたので次はこれを読んでみたいと思います。 [itemlink post_id="11160"]

ちなみにこの本、上下巻2冊あります。 [itemlink post_id="11161"]