『憂鬱でなければ、仕事じゃない』というビジネス人生の指南書。

5年前に読んだ本をもう一回買って読み直しました。

憂鬱でなければ、仕事じゃない

当時、バズワードにもなった言葉ですが、衝撃を受けたのを覚えています。この本を読むと、自分の仕事に対する姿勢の甘さとか、努力の足りなさを自ずと認識でき、一流とはこのレベルなんだという基準を補正できるので、たまに読み返したくなります。何かを成し遂げるために必要なマインド、覚悟を知るために、ぜひ新社会人にも読んで欲しい本です。

人が足元にもおよばないほど行った凄まじい努力

ぼくがこの本で1番好きな一節はここです。

「努力」という言葉を、僕なりに定義し直すと、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言える。一般的に言う「努力」など、その名に値しない。人が足元にもおよばないほど行った凄まじい努力が、僕の言う「努力」である。(見城徹)

じゃあ、どれくらいの努力が努力と呼べるのか、具体的なエピソードが書かれています。

二十代の頃、僕はずっと憧れていた石原慎太郎さんと、仕事をしたかった。すでに石原さんは、大作家だったし、勢いのある政治家あった。生半可なことでは、仕事をしてくれないだろうと思い、僕は、学生時代、繰り返し読んだ「太陽の季節」と「処刑の部屋」の全文を暗記し、初対面の時、石原さんの前で暗唱した。石原さんは「わかった、もういい。お前とは仕事をするよ」と言って苦笑した。(見城徹)

彼らは本当の努力をしたことがないのだ。結局、人は自分のスケールでしか、物事をはかることができない。圧倒的な努力は岩をも通す。そのことを彼らは知らないのだ。(見城徹)

簡単に努力したなんて言うなってことです。

何事でも、「結果ではなく、プロセスを評価してほしい」という人がよくいるけれど、僕はこれを聞くたび、ただならぬ違和感をおぼえます。(藤田晋)

また、圧倒的な努力をすればそれでいいわけでなく、結局評価されるのは結果です。もちろんA、B、Cという3つのプロセスがあったとして、どれを選んでも成功したがより大きなチャレンジをしたCを選び今後に繋がる成果を残した、それはプロセスも評価に加味されるというような話はあると思いますが、努力している本人が、その努力自体を評価して欲しいと思っているのであれば、お前はどこを目指してるんだ、成功するために努力してるんじゃないのか、焦点がおかしいだろ、というのは納得です。

小さなことにくよくよしろよ

小さなことにくよくよするな、という言葉はありますが、逆の話です。

「神は細部に宿る」という建築家の言葉は仕事にもあてはまる。つい、見過ごしてしまうものにこそ、事を左右する鍵がある。

最近、仕事の報酬は仕事という世間ではブラックとも言われかねない言葉の意味がよく分かってきて、小さな仕事でも、その人の力量や仕事に対する姿勢は如実に現れていて、目の前の仕事で100%期待に応えることができていなければ、さらに大きなステージでのもっと面白い仕事は与えられないんですよね。

だから、いまやっている仕事に対して120%の成果を出し続ける、小さなことを疎かにするな、細部まで徹底的にこだわれ、と思います。

憂鬱でなければ、仕事じゃない

僕は、朝起きると、必ず手帳を開く。自分が今、抱えている仕事を確認するためだ。そして、憂鬱なことが三つ以上ないと、かえって不安になる。ふつう人は、憂鬱なこと、つまり辛いことや苦しいことを避ける。だからこそ、あえてそちらへ向かえば、結果はついてくるのだ。楽な仕事など、大した成果は得られない。憂鬱こそが、黄金を生む。(見城徹)

よく無責任な大人が好きなことを仕事にするとか、仕事が楽しくてしょうがないとか、言いますけど、自分はそうでない、と悩む新社会人に伝えたいです。そんなのは甘えだと。

最近フミコフミオさんも書いていました。

仕事を好きになる必要もないし、楽しくなければいけないというわけではない、ただ目の前の仕事に誠実であれ。憂鬱な時こそ、チャレンジしているときだし、成長しているときである、と思えば全てがハッピーじゃないですか。

また、たまに読み返して自分を戒めたいと思います。

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